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子どもの時の本作り。

初めて本を作ったのは…

小学校2年生の時に、社会科の授業で"お店屋さんごっこ"をした時、
私は本屋さんという事にして、本を作って売りました。
父の会社のとか、職員室のコピーを借りて。

まだカーボンみたいな青いヤツ…

今じゃ信じられないね。
今だったら、子どもでもコート紙のフルカラー表紙の、
中も全部フルカラーの本がお家で作れるんだもの!写真も入っちゃうし。
レイアウトもソフトでできるし、文字も入るよね。

はあ・・・私は、"未来"にいるんだわ。と、たまに思う。

ね、団塊ジュニアくらいの人、そう思ってみてください。
かなり贅沢なトリップ感です。

とにかく、これがかなり売れて、紙のお金がざくざく儲かりました。

2年生の時は、本当に担任の先生がアイデア一杯で面白くて、
いつも画期的な事をしてくれました。お店ごっこもそうだし、

ステンドグラスを作ったり、今の仕事に繋がる"物語を聞いて
お話の絵を描く"授業ですごくほめられたり…
"モチモチの木"の滝平二郎先生の切り絵をもとに、
まねして作って、よくできた作品として私と数人分、
岩崎書店宛で送って、滝平二郎先生からクラスの皆宛にお手紙をいただいたり。

でも、どういう訳か…この面白い女の先生の顔も名前も思い出せない。
アルバムは、奥にしまいすぎて、出す気にならない。うーん・・・
5年生の時も、面白いマンガやアニメに夢中になったエポックメイキングな年なのに、
どういう訳か、担任の姿も名前もすっぱり忘れている。

校舎を建て直すとか、ベビーブームのピーク年ゆえに教室が足りなかったりで、
家庭科室にいることになったり、横は下駄箱と階段を仮設図書室にしてあったりで、
机を持って移動ばかりの落ち着かない頃でもあったし、
現実より二次元の世界が楽しかった頃って、現実についてかなり無関心なのか。

誰か、同じクラスだった人、教えてください!!

とにかく2年生の時の本作り成功体験から、味を占めて、お手製の雑誌を作って
マンガだの、美容特集ページだの、グラビア(って絵だけど)とか
次号予告、編集後記とかつけちゃって…

この手の遊びは、編集者さんたちと話していると皆やっている。
著者近影とか、私なんて、帯までつけちゃってた!! …とか。

金銭で売りはしませんでしたが、
絵ノートのオーナー制度ができていて、
いつもクラスの子が絵ノートを買ってくれたので、
全部描いたら返してあげて、
また他の子に買ってもらって…と、順番待ちで。

ノート代気にせず、たくさん描きまくれ、

それだけでなく、富士は製紙工場の町だったから、
両親が製紙のエラー品をたくさんもらってきてくれたり、
小さい時から、お絵描きと工作の紙はたっぷりありました。

お絵描きばかりしているので大人がよく画材をくれました。
…とにかく、そこに紙があるから描く…的な環境がよかったのです。

皆に返したノートですが、今でも取っておいてあるよ!
と、幼なじみの幼稚園の園長さんがいっていたのでびっくり。
大きくなってかなりヤンキーになった子も大事に取ってくれてあったり…
大人になってから、みつけたからって、私に送り返してくれた子もいました。

それから、高校の時に、同人誌を作って売るのが楽しかった。
キャラ大好き!!というより、予算を決めて、台割を切って
印刷所に入れて、見本誌が届いて…
販路(委託や参加するイベント・通販の手配など)を決めて…

とにかくそんな"本を作って売る"作業が好きで。
今もほぼ同じような事をやっている。
面倒くさいとこは、担当の編集さんがやってくださるが。

絵が描けなかったら、たぶん死にものぐるいで勉強して
編集者を目指していたと思う。
non・noの誌面レイアウト見てうっとり萌えていたから、
グラフィックデザイナーっていうのもあったけれど。
それっぽい事もたまにしているな。

編集さんでも、絵を描くのは好きだったけれど、
結果的に絵じゃなくて編集者に…という方はわりと多い。

とにかく皆本を作るのが好きなんだなー。
既に子どもの頃から、同じような事をしていて、
縁があって集まっているんだなあ、と思う。

そういえば、油絵描いてナントカ展に、銀座の画廊に…なんてことを夢見た事は
サッカー選手になりたい!! と、思った事がないのと同じくらいないな。
と、気づきました。

なにはともあれ、
人は本人にとってのベストポジションに流れ着くものだと思います。

私は、出版業界かアニメ業界で行きて行こうと決めていたし。

…夢を叶えるために必要なのは、

私は何々をやる…と、自分で固く"決めてしまう"のが一番。
それにつきるなあと思う。
by diemond | 2012-11-28 20:59 | わたしの素